いわゆる盆と正月がいっぺんに来たような能登モントレージャズフェス

中学一年生の時に出会った最初のジャズは日野皓正クインテット。
吹奏楽のクラ吹きの友達がリードを買いに行くというので付いていったのが今は無きヤマハ渋谷店。
普段のファーストフロアはLPフロアだったが、その時偶然に臨時改装してライブコンサートをやっていた。
フォークバンドとロックバンド、そして最後のバンドが日野クインテットだった。
歌や振り付けを合わせてパフォーマンスする二つのバンドと全く違うのが、日野クインテットのそれぞれメンバーの立ち居振る舞いだった。日野さんはロンドンブーツにパンタロン、長髪にサングラスで海老反りになって白いフリューゲルホルンでハイノートを連発、テナーの村岡健さんは逆に微動だにせずネチネチと音を織り込み(同じく白いテナー!)、ピアノのコルゲンさんはピアノに突っ伏し、ドラムの日野元彦さんは猫背で獲物を狙うが如くで、時々何事か捕まえてはニコリとする。ベースの稲葉国光さんはひたすら超然として仏像のようだった。
そんな五者五様の個性が勝手に飛んだりまとまったりするのが面白くてこの初体験の音楽に一気に引き込まれた。
中学生の分際でヒッピー文化がジャズ界にも浸透していた渋谷のオスカーやら新宿タローやらピットイン等のライブハウスにしょっちゅう短パンのまま出入りしていた。線香が充満している店もあった。
追っかけるミュージシャンは殆ど日野さんだった。日野さんがラッパからつば抜きするしぐささえ愛しくて,その飛まつを浴びる最前列で聴くのが好きだった。ドラムとサックスを始めていた自分はいつの日かこのバンドに加入するのだと心に決めていた。
約20年後、日野さんにスカウトされて念願だった入団が叶う。

高校2年の時、初めて携行できるレコーダーが発明された。ソニーのカセットデンスケ。
非常に重いその機材を持って金沢の宝生流能楽や輪島朝市や波の音、最後に御陣乗太鼓を録音した。特に御陣乗太鼓の迫力に圧倒された。太鼓一台という潔さ、入れ替わり立ち変わりソリストが代わる個性、見栄をきる仕草などにジャズを感じてしまった。(去年初体験したゲタ夫さんはロックだ!と仰ってた。それもよく分かる)御陣乗太鼓とも必ず競演するぞ!と誓った。あれから40年以上もかかってひょんなことから能登七尾の5スポットのマスター、西川さんがキューピットとなって頂いてピンクボンゴとの悲願のコラボレーションが去年七尾のアートホールで実現した。

大和民族の静と動のパワーを表現した我がオリジナル「スサノオ」で御陣乗太鼓を曲中曲として演出するのだが、今回の能登モントレーのステージではさらに積極的に絡んでコラボ感が進化した。

日野さんのステージでは最後の曲で日野さんの手招きで乱入させていただいた。
日野さんのTpは衰え知らず。そしてそのリーダーシップやアスリートのような反射神経は今尚健在で本当に恐れ入る。

日野バンド退団後は、自分らしさを求めた形がピンクボンゴに集約されたが、能登モントレージャズフェス2015は私の角度から観ると、「宮本大路の人生」がある意味集約されたようなハレの舞台となった。

日野さんや御陣乗の北岡さんはもちろん、プロデューサーの白石さん、キューピッドの西川さん、ピンクボンゴのメンバー、そしてこの夢の舞台に立ち会ってくれた生き証人の濃いファンやお客様に深く感謝する。





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by DAIROBARIBARI | 2015-07-28 00:52 | 大ARY  

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