ALS(筋萎縮性側索硬化症)の塚田宏氏死去

友人であり、ピンクボンゴのツアー等で再三手助けをしてくれているマー坊こと塚田学氏の
お父さんで、日本ALS協会東京支部長の塚田宏氏が急逝した。
40代後半でいきなりALSという難病に罹った。普通に歩いていた足がある日を境にちょこちょこ
つまづくようになり、直立できなくなり、たちまち身体中のありとあらゆる筋肉が萎縮し使い物に
ならなくなり、植物人間の様にベッドで横たわるしか術がなくなり、しかし意識や頭脳は明晰なまま
以後30年以上の闘病生活だった。塚田氏が現れる前は、この奇病に罹ると本人も介護する周りの人間も絶望的な精神状態になるので、長くは生きながらえないのが普通だった。
しかし宏さんは病気と真っ向勝負に出て、この難病支援のため欧米や亜細亜を歴訪し数々の足跡を残した。自分のありのままをビデオに撮り、ヨーロッパのフィルム祭で受賞したりした。
宏さんは健康体のころからJAZZが大好きだったので、自分は度々氏のお部屋にお邪魔して守屋純子さんとトリオで演奏したり、一人サックス担いで行きベッドの傍らで演奏することも多々あった。
そんな様子もビデオ「動かない体で生きる私の、それでも幸せな日常」に収められている。
ピンクボンゴや熱帯JAZZ楽団のコンサートにも介護ベッドでよく出かけて頂いた。
氏との会話は指の微かな動きや眼球の動きに合わせて読み取る機械やイロハの透明のアクリルボードを使ってコミュニケーションをはかるのである。
筋無力症といっても痛みも苦しみもあるのである。それを屈強の魂で屈強の意思で啓蒙活動やALS専門病院の設立に尽力したのである。筆舌に尽くしがたい人生だ。
奥さんの愛情いっぱいの介護、お父さんの発病と同時に青春を棒に振ったマー坊、充実した介護スタッフのサポートあればこその人生ではあったが、ついに最期の時が訪れた。
今朝4:30に寝たのもつかの間、6:30にマー坊から連絡があり、お父さんが危篤で、最期の希望が
大路のサックスの生音と氏ときわめて近しい存在だったアレンジャー・コンポーザーの三木敏吾氏のニューアルバムを聴きたい、との要請だったので、白バリ担いで東京神経病院に駆けつけた。
周りの患者さんの同意を取り付けてベッドの横でHOW HIGH THE MOONや朝日のごとくさわやかに、やNIGHT AND DAYなど立て続けにスタンダードを演奏した。
こちらサイドから判る魂や意識の躍動の窓である眼球は活発に動いてくれた。
三木さんが持ってきたビデオ音源では氏のインナーギャラクシーオーケストラと渡辺貞夫氏のライブサウンドに、ヘッドホンをあてがわれている宏さんの目はさらに活発になった。
宏さんと同年齢の貞夫さんのエネルギッシュなソロに感動したのだろうと思う。
それを見た自分は、この分だと持ち直すだろうと見越し、逆に寝不足でこちらが意識朦朧としてきたので、ほんのちょっと…とデイルームのソファで横たわった。
しかし、マー坊のお母さんがほどなくオレの肩を揺すった。「心拍数が激減してるの」

家族やスタッフが見守る中、9:48瞳の光が、ユックリ灯が消える様に、逝ってしまった。
今年の9/16で80歳になる予定だった。
そしてその日は氏は生きていても亡くなってもチャリティを兼ねたピンクボンゴの
コンサートライブが決定している。氏の魂が光臨する演奏をしようと思う。

奇跡の生命力と気力にただただ合掌するのみ。
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by DAIROBARIBARI | 2013-05-06 00:04 | 大ARY  

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